大和郡山・洞泉寺遊廓で取り壊される4つの妓楼のうち、旧山中楼が一般公開されました。
1901(明治34)年築との記録が残る木造3階建てで、昭和33年に営業を終え、5年ほど前まで個人宅として使われていました。
玄関を入るとまず目に飛び込んでくる写真場。洞泉寺遊廓は写真で娼妓を選ぶシステムでした。
見上げると竿縁天井と格天井。建具や欄間も凝ってます。
毎日新聞の記事で取り上げられていた鏡。「山中楼」の下には販売元らしきガラス屋さんの名前と3ケタの電話番号がありました。ちなみに、その記事が発端となり、山中楼が公開されることになったといいます。
1階の中庭をぐるっと回遊。ミニサイズの太鼓橋付き。
雨対策のビニールをめくると、ひょうたん型にくり抜かれた石とお社がありました。
渡り廊下の富士山
違い棚、金箔が貼られた天袋、床柱
戸を開け放つと中庭に繋がります。
廊下を占拠する階段を使って2階へ。ちなみに建物の一番奥には階段がもう一つあります。客との動線を分けていたのかもしれません。
2階には小部屋が並びます。娼妓さんたちの仕事場であり、生活の場でした。
親格子の間に2本の格子。隣の町家物語館(旧川本楼)と同じですね。
階段が2つ並ぶのが面白い。昔は一方通行だったかも。
3階も同じく小部屋フロア。廊下との間にはそれぞれ穴が空いてます。悪さをするお客さん対策と聞きました。
旧字体×旧字体
旧山中楼含め、4つの妓楼が見渡せました。数日後にはその全ての取り壊し工事が始まります。
最後は幸せの猪目模様。風呂場にあった隠しアイテムです。