奈良市押上町の天守閣みたいな建物の正体は、明治41年に建てられた元・蒸し風呂屋「からふろ」で、外観のモデルは東大寺大仏殿
そんな貴重な情報を毎日新聞地域面のコラム「やまと 民俗への招待」(2020-10-07)で得ることができました。
執筆された鹿谷勲さん(奈良民俗文化研究所代表)のお話を引用しつつ、過去に撮影した写真を添えて解説していきます。なお、建物は2019年に解体されています。
「からふろ」が立っていたのは奈良県庁、東大寺に近い観光エリア。インパクトある外観ですが、通り側から殆ど見えないため、知名度は極めて低かったと思われます。
“地元の大工の手で明治41年には木造3階建ての建物が出来上がり、大仏殿を模して、大棟には鴟尾をのせ、鬼瓦には「丸に蔓柏」の家紋を入れ、「からふろ」の文字を浮き彫りにした”
アンバランスに見える側面こそがこの建物の醍醐味。鴟尾は見当たりませんでしたが、家紋と文字は健在でした。施主は“榛原町長や榛原銀行頭取を務めた”という名家の出で、他にも奈良初の映画館「電気館」や芝居小屋を運営していました。
“(居住していた)米国で興味を抱いて学んだトルコ風呂と東大寺などでの風呂の習慣を融合させカラフロを始めた”
蒸し風呂が主流だった時代は長く、東大寺には大湯屋という建物が残っています。奈良・法華寺にはそのものズバリの「浴室(からふろ)」も。
“1階は浴槽のある「四方風呂」、2階は蒸気浴、3階は大仏殿や若草山が遠望できる休息所だった”
紙面にある明治末期頃の建物写真と今とを見比べるとまず窓が違います。当時は横いっぱいに開口、高欄が四周に巡っていました。ただ、周辺環境はそこまで変わってないので、3階からは100年前と同じように大仏殿、若草山が見渡せたはずです。
蒸し風呂屋としての寿命は短くて“大正5、6年には廃業” “蒸気を利用したクリーニング業「からふろ洗濯」”を次に始めて、その後は改装され“昭和50年ごろまでユースホステルとして利用”されました。
東側の広大な庭、建物の荒れ具合からみて、近年は放置状態だったと思われます。
“風呂が沸くと汽笛が付近一帯に鳴り渡り”
当時、誰もが知っていた建物がほとんど誰にも知られることなく解体される。寂しくはありますが、その生涯の一端をこうして知ることができ、何かしら供養をした気分になりました。
「からふろ」跡地 pic.twitter.com/RVgu43lCNI
— shoken@ビル景 (@bbbuilding100) October 8, 2020
更地になった「からふろ」の隣では、その名を冠したクリーニング屋さんが営業中でした。