「松下記念資料館誕生に迫る〜紀伊風土記の丘50周年展」に合わせて和歌山を訪問してきました。
紀伊風土記の丘は、およそ850基を擁する全国有数の群集墳「岩橋千塚古墳群」の保全、公開を目的として、西山夘三が策定したマスタープランのもと、整備が行われました。
訪問者はまず、駐車場からの距離に驚くでしょう。アプローチを参道に見立てており、駐車場を400m手前に配置することで、あえて歩かせるようにしています(当初計画ではさらに200mほど遠かったとか)
アプローチが参道なら、資料館は中門にあたります。松下記念資料館(紀伊風土記の丘資料館)は1970年の竣工。倉敷で活躍した浦辺鎮太郎が設計しました。主役はあくまで古墳群がある背後の山なので、それを妨げないよう高さが低く抑えられています。
中門なだけに通り抜けられるピロティがあり、エントランスがあるのも向こう側。
松下幸之助が揮毫した「松下記念資料館」が頭上を飾ります。生まれ故郷が近く、建設資金を寄付しました。
当時の和歌山県知事に宛てた書簡のなかで「浦辺鎮太郎先生を候補者のお一人に加えていただければ」と推薦していたことが今回の調査で判明。設計者選定の決め手になったと思われます。
ピロティに古墳!
建設予定地から出土した前山B36号墳です。一部復元のうえ、ピロティ中央に移築されました。
ピロティを抜け、建物を見下ろし、初めて別の屋根が載っていることがわかります。浦辺鎮太郎特有の壁庇っぽいデザインです。
新毛見トンネル掘削時に出た結晶片岩で壁を装飾。庭師のきれいすぎる積み方は浦辺の好みにあわなかったようで、石工にも手伝わせました。写真2枚目の壁がお気に入りだったいいます。
面格子、ランプシェードには出土品に描かれた模様があしらわれます。
和の要素を散りばめているのも特徴のひとつ。
ここで重大な告白を。展示会に合わせて訪問したと言っておきながら、展示会は未見。前日に終了していたのです。
不憫に思ってくださったのか、マンツーマンで建物を解説いただけたのは怪我の功名でした。これまでのエピソードのいくつかは、学芸員さんから聞いた話です(記憶違いがあったらごめんなさい)
190円を支払って展示室へ。垂木が表現された天井と、アスファルトブロックの黒い床。後者は倉敷国際ホテルでも使われる貴重なもの。
黒枠のケースはもともとはトップライトだったそうです。重要文化財になった収蔵品を保護するため、塞がれました。
トップライトをピロティにまで落とし、古墳を照らす演出だったのなら面白いなーと。
こちらも保護を理由に開かずの扉。位置的にはバルコニー?開いた先の意匠も面白いと聞きました。
呪術的パワーを浴びてすくすくと。稲刈りはもう間もなく。
次回は資料館近くに立つ収蔵庫を紹介します。ごく最近になって、浦辺鎮太郎作品であることが判明しました。