久留米の千栄寺・徳雲寺 菊竹清訓による異色の本堂

まるで教会か神殿のような佇まい。古くからの寺院が道の両脇にならぶ寺町において、千栄寺本堂は異彩を放ちます。

本堂は1959年、菊竹清訓の設計によって建てられました。のちの大建築家も当時は30歳そこそこ。赤レンガ張りや瓦屋根の外観は彼のスタイルから少々外れてるように見えなくもないですが、しかしインパクトは抜群です。

両翼のレンガの壁からすこし奥まって、扁額を掲げた入り口があります。ちょうど法要の真っ最中でした。

驚きはステンドグラス風の窓!堂内に色付きの光線を届けます。賛美歌が似合いそうな雰囲気ながら、漏れ聞こえてきたのは確かにお経でした。

菊竹清訓と千栄寺にいったいどんな繋がりが…との疑問は、石版に刻まれる石橋正二郎の名前を見た瞬間に氷解。

そう、ここはブリヂストン創業家である石橋家の菩提寺だったのです。久留米の足袋メーカーを源流とするブリヂストンは、本堂が建った頃には国内トップのタイヤメーカーに成長。それを率いたのが石橋正二郎です。

久留米出身の菊竹清訓に目をかけ、石橋美術館(現久留米市美術館)やブリヂストン社員寮の設計を依頼するなど、特にデビュー期を支えました。※のちに菊竹清訓の有力なクライアントとなる島根県知事、田部長右衛門は、石橋美術館の訪問をキッカケに菊竹を見出します

鐘楼は石橋徳次郎の寄進(昭和56年)。本堂及坐禅堂増築は石橋幹一郎の寄進(昭和57年)。千栄寺だけでこれ。久留米市はブリヂストン家が寄付した建物だらけです。

さて、スッキリしたところで、100mほど離れた徳雲寺へ。こちらの本堂も菊竹清訓の設計。千栄寺本堂のおよそ20年後となる1978年の竣工。菊竹清訓は既に一流の建築家になっていました。

屋根は逆梁をデザイン化。軒先にいくほどなだらかな懸垂曲線を描きます。

開口部に黒のサッシを用いて、屋根と柱の白さを浮き立たせるしかけ。ガラス越しに中を覗いたところ、天井や梁はなく、屋根の曲線そのままの内部空間になっていました。

側面下部の窓

側面上部は板張り

本堂背後には納骨堂(1965年)があります。2つの本堂よりも有名で、弁当の箸箱が宙に浮いたような私好みのモダニズム建築なのですが、アホな事に存在を忘れていました。墓地は檀家専用なので近づけないものの、敷地裏側の小道から少し覗けたみたいです。。。

そんな後悔は、次回の久留米訪問の活力に。個性の違う2つの本堂に出会えただけで、今回は良しとします!

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