和歌の浦は古くからの名勝として知られます。和歌山随一の富豪であった森田庄兵衛は、その景観に魅せられ“新”和歌の浦を開発し、仙集館と呼ばれる料亭旅館を開きます。それ自体、情報に乏しいのですが、付属の水族館に至ってはオープンしていたかどうかも不明という幻の施設になっています。
ただ、遺構は残っています。仙集館跡地に立つホテル萬波のあしもと、半円状の観光遊歩道に沿って水族館の赤レンガの壁がぐるりと連なっています。
しかし、現地に着いてあ然。
レンガ壁が大きく損壊していました。
調べてみると2018年4月頃にがけ崩れがあったようで、今は復旧工事の真っ最中。以前はもっと右側までレンガ壁が伸びていました。
紀州青石と赤レンガが連続していた観光遊歩道も通行止め。
では、仙集館水族館とは一体どんな施設だったのか、ネットで閲覧できる資料を2つ紹介します。
「森田庄兵衛による新和歌浦観光開発について」※PDF(田中修司)はエリア開発史の決定版的な論文。仙集館やレンガ造の別館、水族館(建設中)のお宝写真を拝めます。
森田庄兵衛は大正8年、美術館等を併設した仙集館を開業させたものの、資金繰りは苦しく、大正13年の森田が死去した頃に、施設は人手に渡ることになります。
付属水族館の完成は大正9年〜12年頃とされますが、冒頭に書いたように実際稼働したかは不明。つまり、開館を伝える新聞記事や、パンフレット、内部写真といった資料が見当たらないのだと思われます。苦境に陥り、水族館運営に手が回らなかったのでしょうか。仮に開館していたとしても、ごく短命に終わった可能性が高そうです。
一見してただものでない第一隧道はともかく、萬波の駐車場で撮っていたトンネルが第ニ隧道と知ったのもこの論文のおかげ。探訪ブログを見つけたので貼っておきます←面白い
資料2つ目、鳥瞰図絵師の吉田初三郎による「和歌浦名所交通鳥瞰図」(大正15年)では、半円状の小さな岬に、木造4階建ての本館およびレンガ壁などが描かれます。
施設名を拡大していくと「万涛樓」と見えなくもないような…(「萬波」の前身?)。少なくとも仙集館の名ではなく、旅館経営が既に別会社に移っていたことがわかります。
和歌浦名所交通鳥瞰図は大正14年版を皮切りに、大正15年、大正16年にその改訂版、そして大正16年に「新和歌の浦」編が刊行されています。ちょうどオーナーの交代期にあたるので、頻繁に改訂した理由がそれだったら面白いなと。
それにしても工事内容が気になります。レンガ壁を残しつつなのか、全撤去なのか。文化財登録は多分されてません。
萬波の隣の小さな砂浜には、赤レンガが打ち上げられています。
今なら100年もののレンガが拾えます。