日本最大の宗教都市である奈良県天理市。唯一無二の景観が時に話題になりますが、その景観形成に大きく貢献しているのが「おやさとやかた」と呼ばれる建物群です。
いくつもの千鳥破風を置いた屋根。高欄が付いた外回廊。窓枠などに施された朱色のアクセントカラー。「おやさとやかた」はひと目でそれと判別できる強烈な個性を放っています。
用途は信者のための宿泊施設である「詰所」や修養の場、病院、天理大学に天理小学校、資料館など様々。長大な建物が数ヶ所に散らばって林立します。
GoogleMapで配置を確認してみましょう。黄色く色付けしたのが「おやさとやかた」です。じっと眺めてみると何か気付くことはありませんか?教会本部(神殿)を中心にして正方形を描く作業途中のような…。
実はホントにその通りで「おやさとやかた」は天理教が世界の中心と定める“ぢば/甘露台”を“八町四方”で囲うための施設なのです。
“ぢば/甘露台” がある神殿礼拝場は、度肝を抜かれる大建築。誰でも見学可能です。
天理教の教祖(おやさま)である中山みきが呟いた「八町四方は、神のやかたと成るのやで」を戦後になって具現化した構想。それが「おやさとやかた」です。八町はおよそ872m。それで四方を囲むのですから単純計算で1周3500m。歩くだけで40分以上かかる距離を、5~8階建ての巨大建築で繋ごうという壮大さ。
これはもう都市計画レベルです。
計画が始動したのは教祖の没後…天理教的に言うと“お隠れ”になってから70年近くが過ぎた1954年でした。翌年に真東棟など5棟が完成。そこから徐々に増え続けて2017年時点で28棟を数えるまでになりました。
最終的には68棟でひとつながり。市内に点在する160ヶ所以上の詰所(信者の宿泊施設)などを「おやさとやかた」に収めて、互いに助け合う“陽気ぐらし”実践のモデル都市となることを目標にしています。
ちなみにデザインの手本は1937年竣工の天理高校本校舎(設計:内田祥三)
建物が町を1周するんですから様々な物理的障害があります。しかし、この計画はそれを大きな問題としません。
建物に車道を通し、
川をまたぎ、
いずれは商店街をも乗り越えて、
隣の棟へと繋がります。
あらためて未完成部分を赤で色付け。着工ペースは鈍化してますが、平成に入ってから少なくとも7棟は完成しています(数え方は基本的に縦で1棟、横で1棟)
つぎはどこか。地図右下、東と南の交点になるであろう現場に行ってみましょう。
石上神宮の入り口付近に整地された土地が広がっています。左端と右端に写る「おやさとやかた」の妻側がそのまま真っ直ぐに伸び、写真手前あたりで繋がります。
ただ、今後については課題が多そう。他の多くの新宗教がそうであるように、天理教も信者数の減少に直面しています。最初期に完成した「おやさとやかた」は既に築60年以上が経過。新築するより前に、建て替えの議論が必要になってくるかもしれません。
教会本部の方と少しお話したのですが、積極的に推進していくという感じではありませんでした。現時点で具体化している新設計画はゼロだそうです。残念。
天理教は伝統的に建物をとても重視していて、神殿礼拝場をはじめ多くが信者の方の労働奉仕“ひのきしん”によって普請されました。この共同作業は信者の一体感を高める役割も果たします。
「おやさとやかた」は終わりが見えないほど壮大な構想。いまは一休み中ですが、それぞれの心のなかに普請への思いがあり続けることが大事なのかもしれません。
天理教によって生まれたのが天理のまち。信者の熱い気持ちによって築かれた宗教都市です。
気軽に教会本部を見学するもよし、八町四方を一回りして壮大な建築ロマンに触れるもよし。天理は奈良県の隠れた名所ナンバーワンだと思っています。