エメラルドグリーンの熊野川に面した天理教南海大教会は和歌山県における天理教の教会第1号で、神殿はその歴史を反映して巨大。新宮市随一の存在感を誇ります。
2両編成の列車と比べると大きさがよくわかります。三重県と和歌山県の県境に架かる熊野川橋梁を渡って新宮市に入る際、必ず目に入るのでPR効果抜群の立地といえるでしょう。
熊野の山を背にした堂々とした立ち姿。神殿を中心にして、主に3棟で構成されます。
街なかにあっても大きな屋根はよく目立ちます。JR新宮駅から歩いて10分ほどの場所で、隣には丹鶴城公園(新宮城跡)があります。
神殿と渡り廊下で結ばれるのは信者さんらが暮らす共同住宅だと思われます。境内に入ってもおそらく大丈夫なのですがあと一歩が踏み出せず。威圧感に敗北しました…。
一方で思わぬ収穫もありました。丹鶴城公園の逆側で、大きな和風建築に遭遇。「正明保育園」とだけあって寺の名前は無し。これは怪しい。
カメラズームで謎が解けました。現在地に移転する前の南海大教会の旧神殿です。天理教建築かどうかを判別するのは簡単で、瓦に梅鉢紋があしらわれていれば大体それ。
調べてみると、旧神殿は明治28年築。新しい神殿ができる昭和46年まで使われていました。保育園名の「正明」は教会設立以前に結成された講社の名前で、南海大教会の機関紙名にもなっています。
作家の佐藤春夫(1892−1964)が自身の少年時代を回想した「わんぱく時代」にこの建物についての記述がありました。明治時代、旧神殿もランドマークだった事が伝わってくる文章です。
わが門前の石段を降りつくした広場のすぐ右手は、わが家を威圧するかのような世にも大きな隣家である。四、五十メートルもつづく城壁のような高い石垣に三方を囲まれ、山を負うた百畳敷の本殿のある天理教の南海大教会は、高さ四十段もある石垣。その両脇の石垣にたわわに咲いた(後略)
“高さ四十段もある石垣”はさすがに誇張っぽいですが、古写真で確認するとすぐ近くにあった旧新宮町役場より遥かに豪壮だったことがわかります。
最後は丹鶴城公園から。眼前に見える巨大屋根を期待したのですが、現神殿は木々に隠れてしまっていました。
旧神殿はバッチリです!