「都市交通百年の大計」として鳥取や舞鶴まで延伸する構想もありながら、わずか1.6kmで夢が潰えてしまった姫路モノレール。
近年、シンボルだった大将軍駅跡(高尾アパート)が取り壊され、橋脚も撤去が続いています。
2016年と2021年の5年間で廃線遺構はどのくらい変わったか、ルートを紹介しながら見比べていきます。※ページの最後に廃線マップを付けました。
ビル屋上橋脚
姫路駅を西に進むと現れるのが、ビル屋上から橋脚が突き出す区間。
2016年
橋脚の高さは一定ではなく、山陽電鉄を越える部分をピークとする山型の軌跡を描きます。
屋上に橋脚が載っているようで載ってません。姫路モノレール開業後にビルが橋脚に巻き付いたという衝撃エピソードについては、前回記事でレポートしました。
2021年
2016年と2021年で唯一変化がみられない区間です。ビルと橋脚は一蓮托生。老朽化でビル建て替えとなった時が、橋脚が消える時です。
橋脚数 10本→10本
大将軍駅
大将軍駅は廃線めぐりのハイライトでした。当初計画では普通のモノレール駅になるはずだったところ、横槍が入ったことで方針転換、低層部が店舗、3階が大将軍駅、上層部が公団住宅という斬新なビル「高尾アパート」が生み出されます。
2016年
ゆるいカーブを描く建物にモノレールが吸い込まれていく…想像するだけでワクワクです。
駅として致命的だったのは「歩いたほうが早い」とされるほど姫路駅が近かったこと。割高な運賃もネックとなり開業2年経たずに休止、その後は通過駅になりました。
木で軌道桁を支えているわけじゃなく橋脚が隠れています。
2021年
高尾アパートの解体は数年前に完了。更地のままなのは基礎的な何かを取り除けなかったため。。。
橋脚数(大将軍駅内を除く) 3本→0本
船場川沿いルート(北側)
大将軍駅の先は南に向きを変え、船場川に沿ってルートが続きます。省スペースで敷設できるモノレールの利点を感じられる区間です。
2016年
川のなかの橋脚は上部が片持ちタイプ。※消失
軌道桁が連続します。足元の菜園もいい感じ。川向かいに赤レンガ倉庫が残っていたら更にフォトジェニックだったでしょう。
奥の高架は山陽新幹線で、わずか2年間だけ姫路モノレールと交差していました。どちらも未来の乗り物だったのに明暗が分かれてしまったのが悲しいところ。
高架をくぐった後は、三菱電機姫路工場専用線(現存せず)とJR山陽本線(当時は地上走行)を跨ぎます。
近くにあった「大将軍橋」の案内板にはモノレール線が写っており、トラス構造っぽい橋でJR山陽本線を越えていたことがわかります。
2021年
水面に映ります。川向かいの駐車場(赤レンガ倉庫跡地)には山陽色素の新しい建物が立ちました。
橋脚数 9本→6本
船場川沿いルート(南側)
JR山陽本線を越えた先から再び橋脚が現れます。
2016年
おじいちゃんとお孫さんが虫取りの真っ最中。まるで別世界に迷い込んだような牧歌的な風景。
もう1区間は道の邪魔になっていたためか撤去。川に映る姿が印象的でした。
2021年
牧歌的だった方も黄信号っぽい。簡単な柵が設けられ、周囲の木々は伐採。大阪臨港線跡の最期と似た雰囲気を感じました。気のせいだったら良いのですが。
橋脚数 11本→7本
手柄山
いよいよ終点にやってきました。手柄山駅跡地を利用した手柄山交流ステーション(モノレール展示室)ではモノレールの車両をはじめ、様々な資料が見られます。2020年、「姫路モノレール遺構群」として土木遺産に認定されました。
2016年
ロッキード社製モノレールの最高速度は120kmとも150kmとも。12両編成も可能だったとか。
モノレール橋脚、新幹線、高尾アパート、白すぎ城だった頃の姫路城がコラボする手柄山からの眺め
先ほどの川に映る区間。手柄山にむけて急に高さを上げていたことがわかります。
もっと撮りたかったのですが写真1枚撮るごとにデジカメがオーバーヒート。この日は気温40℃に迫る猛暑日でした。
まとめ・廃線マップ
橋脚数 33本(2016年、大将軍駅内を除く)→23本(2021年)
モノレール展示室の資料によると当時の支柱の数は95本。2010年頃までは大半が残っていたらしいので、かなりの消失スピードといわざるをえません。
「姫路モノレール遺構群」に橋脚が含まれなかったのも、今後を暗示しているように思われます。
廃線マップにまとめたので、探索される方は参考にして下さい。昭和の夢の跡を辿るなら今のうちです。