ある日、新聞の地域面で小さな記事を見つけました。吉野杉をふんだんに使った建築が東京でのイベント展示を経て、吉野川のほとりに移築。宿泊施設として再活用されるとの内容でした。
宿の名は吉野杉の家
興味あるけど桜の時期は予約できないだろうなとの予想は外れ、あっさりとピークのど真ん中、4月中旬に宿泊することができました。
当日は晴天。示された地図によると宿は信じがたいほど吉野川そばに立地しています。近鉄吉野神宮駅を下車後、貯木場や多くの製材所を横目に見ながら川沿いをとぼとぼ歩きます。
美しい杉色と、三角屋根が見えてきました。
吉野杉の家です。それにしてもすごいロケーション。吉野川まで徒歩20秒といったところ。明日の朝は縁側でここでコーヒーだ!と妄想が膨らみます。
外観は奈良の伝統的家屋である大和棟を模しています。この建築は民泊仲介の世界最大手「Airbnb(エアビーアンドビー)」と新進気鋭の若手建築家、長谷川豪さんによる協働プロジェクト。そこに吉野町および地元職人が手を挙げて協力し「吉野杉の家」が誕生したという経緯があります。
「Airbnb」が地域コミュニティの場の創出に関わった先駆的事例で、同社の共同創業者であるジョー・ゲビア氏もここを訪れたとか。※私はこの宿に泊まりたいがためにAirbnbに登録しました。
キーの暗証番号を教えてもらえるので早めにチェックイン。この時点では中に誰もいません。宿泊サービスとしてはあくまで民泊の延長線上です。
中に入るとまずどーんと突き抜けたリビングルームが迎えてくれます。特筆すべきは杉の香り!木造新築の友人宅…どころではありません。人生で嗅いだ最も強い杉の香りが、全身を包みます。
開口部いっぱいの窓からは吉野川。もちろん開閉が可能です。そしてどこを見ても
杉!
杉!
杉!
ひとり大興奮状態でした。
2階踊り場は、一転して窓のない不思議な空間。奥にあるのが私が宿泊する部屋です。光に縁取られた三角形の扉を開けると
三角の部屋!
収納も何もない正三角形の一間のみ。窓は大きく1つだけ。なんてシンプルで美しいんでしょう。アート作品の中にいるみたいな感覚。ここで寝るなんて贅沢すぎやしませんか??
窓からはもちろん吉野川が見えます。宿の部屋数は2室のみ。 2階の東西それぞれに1部屋ずつ設けられています。
と、なると気になるのは宿泊料金。さぞお高いのでは…とお思いかもしれませんが、最大3人の宿泊で1万5000円程度と意外にリーズナブル。時期や曜日による変動はなく、桜の季節も同じという良心価格。
再び1階へ。日が傾いて影が伸びていました。
吉野川の対岸から見てみます。散歩中のご婦人と少しお話ししたのですが、もともと花畑だったという事もあり、当初は建設を疑問視する声も出たそうです。しかし2016年12月の完成後、地元で愛される存在になり、大雨の際には 「あの家、大丈夫かしら?」とそわそわすると仰られていました。※水量は上流のダムによって調整されます
前面の河原は野生鹿の水飲み場になってるらしく、運が良ければ珍しい光景にも出会えるかもとのこと(奈良市民にとっては鹿は珍しくありませんが)
「吉野杉の家」のキーワードのひとつはコミュニティがつながる「場」なので、夜はホストとの交流があります。この日の担当は製材職人と木工職人のふたり。地域の職人を中心に十数名が交替で泊まり込みます。
二人とも20代(若い!)ですが吉野杉を語らせたら止まらない。吉野杉に節がない理由、間伐の時期と範囲を調整して木目を制御する話、含水率のことなどなど次々と出てくる薀蓄、こだわりに感心するばかり。新築時だけかと思っていた杉の香りもずっと続くのだとか!製材時はもっと強烈なので職人さんにしてみたらこれでも「薄い」そうです。
吉野杉の現状を嘆きながらも「吉野杉は日本一!」と、こんなに自信をもって語れる若者がいれば、いずれ事態は好転しそうな気がします。この「吉野杉の家」は吉野杉の良さを広めるためのPR施設でもあるのです。
ちなみにこの写真は、ホストのひとりと近くのコンビニに買い出しにいった帰りです(出前の中華が休みだった…)もうひとりの宿泊者は、東京生まれの中国人。超アクティブで、時代の先端を走っているような好青年でした。将来大物になりそう。
もちろん、自分ひとりの時間を過ごしても全く問題ないかと思います。
11時過ぎまで語らって、部屋に戻りました。吉野杉を薄くスライスした木目のある「あかり」が部屋の唯一の光源です。
オレンジの光が部屋をより幻想的な空間に。吉野材に包まれながら眠ります。
朝。日の出とともに目覚めました。
東側客室は「日の出の部屋」西側客室 は「日の入りの部屋」と呼ばれています。西側が人気だそうですが、朝のこの瞬間は東側のみの特典。心地よい目覚めには東側がオススメです。
早朝の吉野川沿いを散歩。ピリリとした空気に身が締まります。近くには貯木場や製材所が所狭しと密集、古い町並みも残っているのでまち歩きも楽しいですよ。
光は刻々と変化。散歩から戻ると鋭角を作っていました。風にあおられた木々が影を揺らします。
河川敷をゆく吉野の通学風景。
ホストさん2人は職場に出勤し、もうひとりの宿泊者さんも散歩に出かけました。宿には私ひとり。縁側で静かに飲むコーヒーは格別の味でした。ちなみに1階をカフェスペースにしてお昼間のみ営業する計画もあるそうです。あと、本来は地元の方が朝食を振る舞ってくれるらしいですよ。
Airbnb の特性および海外誌に取り上げられた影響などで、現在は日本人よりもヨーロッパ、中国人の宿泊比率が高いといいます。ただ、国内の某有名建築誌が取材にくる予定もあるとのことで日本での知名度も飛躍的に向上していくと思われます。 今回は一発で予約できましたが、来年の桜の時期は無理でしょう。
「Kobe Beef」が和牛の代名詞になったように「Yoshinosugi」が世界で通用するブランドに成長。地元に潤いをもたらすことを願ってやみません。この宿はそのひとつのキッカケとなる可能性があると思います。もちろん国内でも「吉野杉」の見直しが進んで欲しい。高価なイメージが先行していますが実はそんなでもないらしいですよ。
見ての通りのとてもフォトジェニックな宿。しかし、実際に宿泊してみてそれだけでは無いことがわかりました。川のせせらぎ。杉の香りと優しい肌触り。夜のビール、朝のコーヒー。吉野川のほとりの吉野杉の家は五感で楽しむ宿でした。
(おまけ)聞きしに勝る吉野桜